梅雨はいずこ・・・。

暑いですねー!
じっとしていると、溶け出して水分が染み出てきます。
どうも、東京本社のYです。

梅雨入りしたとかしないとかテレビで見ますが、梅雨らしさは全く無いですね!
今日は北海道でも30度超えだそうで・・・ご愁傷さまです。
前回の投稿は、札幌の妹キャラ、Tちゃん。
えぇ、似顔絵は私が描きましたが、最初からこのイメージしかなく5分で描き上げましたよ☆

えー、3月末に沖縄、GWに北海道に行ってきました、ワタクシYですが、
この土日は街歩き会の合宿で奈良県の吉野に行ってまいりました。

吉野といえば桜が有名ですが、我々の会は道を歩く事を趣旨としていますので、桜は眼中にないのです。
今回は、古代豪族・巨勢氏にまつわる遺構を多く残し、大和盆地と吉野山下を結ぶ「巨勢道」と
吉野山の麓を流れる吉野川の柳の渡しから熊野大社までを結ぶ「大峯奥駈道」の一部を歩いてきました。

まず訪れたのは、水泥古墳と呼ばれる南北2基の古墳。
なんとこの古墳は個人宅内にあり、180年前にここに家を立てようとしたときに発見されたんだとか。
昨年、博士であり研究者の友人2名(歴史経済学・民俗学)と一緒に訪問し、
あまりの素晴らしさに感動して今年の合宿コースに組み込みこむことになりました。
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規模は写真の北古墳で、有名な石舞台古墳(蘇我馬子の墓)より一回り小さいくらい。
観光地化されていないので、盛り土もそのままに古墳の様相をしています。
蘇我毛人・入鹿の墓と推定されていましたが2016年に明日香村の小山田遺跡が古墳であることがわかり、
隣の菖蒲池古墳と合わせて蘇我毛人・入鹿の墓であるとする説が有力になりました。
水泥古墳は現在、巨勢氏の中でも位の高い人物の墓ではないかとされています。

その後、巨勢道を北上し、聖徳太子創建とされる巨勢寺跡へ。
巨勢寺は法隆寺と同等の規模があったとされますが現在は塔の礎石を残すのみとなっています。

葛駅から近鉄吉野線に乗って吉野駅へ。
吉野駅からは日本最古のケーブルカーに乗るはずが、現在故障中ということで代行バスで中千本まで上り
本日の宿泊所にチェックイン。この時期に泊まりでくる客は珍しいみたいです。

部屋での二次会中にこっそり抜け出して夜のお散歩。
金峯山寺(世界遺産)に明かりがついているのを見つけてフラフラと登っていったら
国宝の蔵王堂がライトアップされていてとても美しかったです。
20180602_2
二日目は大峯奥駈道を歩きます。
時間の都合上、歩いて登って歩いて降りてくることが困難なため、
まずはバスで奥千本口まで一気に上り、大峯奥駈道を歩いて下りてくることにしました。
大峯奥駈道は熊野大社に通じている熊野古道の一つですが、
もとは修験道の修行場として開かれた道ですのめっちゃハードです。熊野古道の中で一番危険です。
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今回は流石に命をかけることはできませんので、金峯神社の奥にある旧女人結界の碑まで行きました。
修験道は宗教上の理由から女人禁制の箇所があります。昔はこの碑の先は女人禁制でした。
範囲は狭くなりましたが、現在でも山上ヶ岳の北「五番関」から南の「阿弥陀ヶ森」までは女人禁制です。
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結構すごいところを歩いているような絵面です。
実際、結構すごいですが流石に景色もいいです。
このあたりは杉の林ですが、桜に植え替えをしているそうです。
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このあたりで標高が850メートルほどです。
ここからずーっと歩いて宿まで戻ります。
展望台から昨晩散歩した金峯山寺の蔵王堂が、遥か彼方に見えました。
宿は金峯山寺の向こう側です。かなり遠いです。
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当然ながらひたすら下り坂なわけですが、
標高差でいうと400メートル以上下るため結構な傾斜の坂道が続きます。
横になったらゴロゴロ転がれること間違いなしです。
途中、世界遺産の吉野水分神社、吉水神社を見学しつつ、ぐいぐい下ります。
参加者最高齢は70オーバーのお兄様。
負けるわけには行かないけれど、膝が大爆笑しています。
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一番高い旧女人結界の碑から約3時間半ほどかけて、金峯山寺まで降りてきました。
昼間見る蔵王堂もとても立派です。
この後、宿で昼食をとって、吉野山を下山。
京都に移動し解散となりました。
20180603_6
解散後は京都のいつもの店で打ち上げ。
私は我慢ならなくなって、近所の銭湯で一風呂浴びてさっぱりしてから参加。
21時になる前に新幹線に乗って東京へ。

祭りの後の寂しさを引きずりつつ帰宅し、一晩開けて今朝。
昨日の下り坂がめっちゃ効いて、生まれたての子鹿のようになってます。
プルプル・ヨチヨチです。

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